板金屋

友達の車が宛てられたために、俺の知ってる板金屋で直してもらう。
というか、車預け中w
まぁ、その家がすごいんだな。
その家の長男が、ボクサーで日本フェザー級チャンピオン!


下記引用文(日刊スポーツより)


<新王者・増田誕生!! 駿河ジム一代記(1)>

 第30代日本ライトフライ級王者・増田信晃(29=駿河)が27日、ついに始動した。20日、世界ボクシング協会WBA)同級6位、世界ボクシング評議会(WBC)8位の畠山昌人(23=協栄札幌赤坂)を2−0の判定で撃破し、2度目の挑戦で初王座獲得。世界トップ10入りも確実だ。97年デビュー以来22戦し、19勝(3KO)3敗。1歩1歩白星を重ね、日本の頂点にたどり着いた増田と、開設14年で初王者が誕生した駿河ジムの足跡に迫った。

 王座獲得から1週間が過ぎ、ややふっくらした肉体。しかし、やや目立った右目上の腫れも引き、増田の表情には王者の実感がにじんでいた。

 増田「この1週間は何か早かったですね。あいさつ回りしたり、他のジムのボクサーとバーベキューをしたり。仕事も1日休んだだけなんで多少疲れています。でも家でベルトをちょくちょく見ていると、実感がわきますね。数々の王者が巻いたベルトなんだって」。

 増田は約40分、東京で購入した真新しいサウナスーツに、真っ白なパンチンググローブを着け練習を行った。確かめるようにパンチを振るいつつも、時折力強くアッパーを打ち込んだ。その裏には、たゆまぬ向上心があった。

 増田「無理やりじゃなく、スムーズにパンチを出したい。特にアッパーが一番無理やりに出している。コンビネーションの中、無意識に出るパンチを増やしたい。そうなれば幅が広がるから」。

 デビュー8年目。今年で29歳と決して若くはない。それでも、練習中に笑みを絶やさず、かつ全力で取り組む姿は、練習生以上にひたむきで新鮮だ。

 増田「年齢はあんまり気にしていないですね。経験を積んでいるから、今の方が強いと考えています。冷静さがあるし、問題ないです。チャンスがあれば、上を目指したいですね」。

 増田は、島田学園高卒業後、駿河ジムの門をたたいた。当時、茶工場で働いていた増田は、友人数人とジムを訪れた際、増田義雄会長(68)にシャドーボクシングをほめられた。六合小2年から六合中1年まで空手を続けるなど、格闘技には興味があり有頂天になった。

 増田「鏡の前でシャドーボクシングしたら、会長に『日本王者クラスになる』と言われ、周りにも『日本王者にはなるよ』なんて言ってましたね。でも練習は予想以上に厳しかった。1回だけでも厳しくて、これで4回とか10回やるなんて…未知の世界だった」。

 00年判定勝ちし、日本ランクを奪取した佐野恒史(平石)とデビュー前行ったスパーリングで、増田は厳しさを痛感させられた。それをきっかけにボクシングに対する考え方を変えた。

 増田「佐野くんとのスパーは、1回でもうダメ。次のラウンドに行けなかった。もう日本王者なんて無理、1戦ずつ勝っていこうと。1試合1試合勝ちたくて、上は見えなかった」。

 97年3月、山本裕資(中日)に4回判定勝ちでデビューを果たすと、茶工場をやめた。増田は、ボクシングの世界に本格的に乗り込んだ。【村上幸将】




んで、友達の車見てもらいに言ったら、丁度メダルが置いてあったので、肩にかけてもいいって言ってくれたので、記念に肩へメダルを担ぎました(´д`)


貴重な体験出来てよかった。
今度、写真うpしますw